2016年11月05日

耕作放棄地の不思議

2D85DECF-5615-486E-84E5-A0C382B1F944.jpg
私が愛媛に渡った理由の一つが、いわゆる「耕作放棄地」の問題でした。

昔は綺麗な棚田だった場所が、年々雑草や雑木に覆われ、少しずつ山に帰っていく。

昔は人の手の入ったミカン畑が、シカやイノシシに食害されていく。

そんな現状に耐えられなくなり、耕作放棄地を何とかするために、まだ体力のある内に、故郷へと戻ってきました。


ところが、実際に現場を見てみると、どうやら、様子が違うのです。

写真はそんないわゆる耕作放棄地の一つ。

綺麗な石段にヒノキが植えられていますが、手入れは長年されておらず、木は痩せています。

終戦後の食糧難の時代、各地で、条件の悪い土地にまで田畑を開墾して食料を生産し始めたとのことです。

しかし、食料が足りてくると、条件の悪い土地での耕作は必要なくなります。

そこで、昭和四〇年代~五〇年代になると、条件の悪い農地には、杉やヒノキを植えるようになりました。

建設ブームで建材の方が農地よりも手が掛からず儲かると、みんなが考えたからです。


また、こんなこともありました。

近所の方が、2,3年前から耕作していない土地がある、というので、貸して頂けないかお願いしたときのことです。

「だめだ、あそこは危ない。一人では耕作できない。」

聞けば、元々牛馬で耕作していたその土地は入り口が狭くて急で、耕耘機を二人がかりで運び込んでやっと耕作していたそうです。



考えてみれば、どうして農地だけ耕作「放棄」地というのでしょうか?

倒産してしまった会社は「営業放棄会社」なのでしょうか?

大量の石炭を残して廃山となった軍艦島は「採掘放棄炭鉱」ですか?


確かに農地法には、農地の「農業上の適正かつ効率的な利用を確保」する義務があります(農地法二条の二)。

しかし、義務を果たそうにも果たせない経済的、健康的その他の事情で耕作を断念することが多い中で、耕作「放棄」という言葉には、違和感があります。

むしろ、「耕作断念地」という言葉の方がしっくりきます。

現場で起きているのは「耕作放棄」という地主や農家の怠慢ではなく、むしろ、経済合理的な「農地の取捨選択」ではないかと感じています。

これを「解消」しようということが、果たして良いことなのかどうか・・・



posted by くまのおっさん at 09:30| Comment(0) | TrackBack(0) | Le Japon selon l'agriculture | 更新情報をチェックする

2016年10月12日

農薬を巡る不幸せな構造 3誰もが不安を感じる構造

そう。

農薬を使うことは、現時点での科学的知見に基づけば、「消費者からのクレームリスクを防ぎ、”市場の求める品質”を安価に実現する手段」であり、決して統計学上有意に食のリスクを高めるものではないのです。

実際、農薬による事故は、故意の混入(冷凍食品への殺虫剤「メタミドホス」混入事件、ドリンク剤への除草剤「パラコート」混入事件)と農薬使用の現場でのものに限られています。

市場に出荷された農産物で、農薬による健康被害というものは、特殊な体質の方以外には、まず起こりません。

しかも、現代では殺虫剤にせよ除草剤にせよ、人体への影響がより軽いものがたくさん開発されていますし、農協もそれらの新薬を推奨しています。
決して、新薬の粗利が高いから推奨しているだけでは、ないのです。

しかも、「有機だから」安全ということは全くありません。(久松達央「小さくて強い農業をつくる」晶文社 p.083)

それなのに、どうしても消費者の方は、通常の市場流通品に「不安」を抱きます。

一方、農業者の側は、ほとんどが農薬に「経験上の不安」を感じています。
そして自分用の野菜は農薬を使わずに育てて、親戚縁者に「無農薬だから」といって、あたかも「特別に良いもの」であるかのように配る方も多いです。
その結果、配られた親戚縁者の方も「無農薬は特別に良いものだ。農家さんが良いといっているから。」と思うようになります。

農薬をめぐる不幸せな構造とは、結局、「農薬は、どんなに安全性を追求しても、消費者も農業者も不安を抱き、安心してもらえない」という一点に尽きます。

残念ながら、不安や怒りという感情は人間の中で最もしつこいものであり、さらに否定すればするほど拡散されるというやっかいな性質を持っています。
なので、「不安」をベースにするこの不幸せな構造は、きっと、ずっと続いていくのでしょう。

それでも、適切な使用量の農薬は、「コストパフォーマンスに優れた農産物」の生産に不可欠で有益な資材である、ということは、覚えていただけたらうれしいです。
続きを読む
posted by くまのおっさん at 09:06| Comment(0) | TrackBack(0) | Le Japon selon l'agriculture | 更新情報をチェックする

2016年10月11日

農薬を巡る不幸せな構造 2「市場」が求める農産物

農家が農薬を散布するのには、大きく二つの理由があると思います。

一つ目はコスト削減です。
農薬を使わずに雑草や害虫を退治するには、大きなコストがかかります。

例えば、ある冬野菜の農薬を1回省くと、下の写真のように害虫に無惨に食い荒らされます。
31ADCABC-5344-4D0A-8A59-4D8B452FADE2.jpg

一方で農薬を指示通りに使った場合は虫食いがほとんどありません。
A8EFBBA4-0912-4924-94E7-2F81F24E0748.jpg

もしも農薬がなければ、この野菜畑は全滅してもおかしくありません。

もちろん、農薬を使わずに虫食いを軽減する方法(防虫ネットなど)は存在しますし、こまめに手で害虫を退治すれば、被害を軽減することはできます。

しかし、それには大きなコストが掛かります。
そのコストは、当然、農産物の価格に跳ね返ってきます。



もう一つ、重要なのが農産物の「品質」です。

例えば、見かけで虫食いのある野菜とない野菜。
二つが並んでいたら、キレイな虫食いなしの野菜を選ぶ方がほとんどではないでしょうか。

また、農作物に害虫が混入していたり、病気にかかって中身が腐ってしまったりしたら、それは消費者からのクレームの対象になります。

一般市場としては、これらのクレームが出ないような農産物が、まずは最低限度の品質をクリアするものとして扱われると考えます。

一般の農家、及び直接的に品質保証をする農協としては、クレームのリスクとなる病害虫を最小限にするために、規定回数以内の農薬を散布しているのです。

万一、不作になったとしても「サボっていたわけではなく、農薬を使って可能な限り病害虫は防いでいました。」といえば、不作が不可抗力であることの言い訳にもなります。

このように、農薬は農協や農家にとって、リスク回避の手段でもあるのです。

あれ?リスク回避?


posted by くまのおっさん at 08:29| Comment(0) | TrackBack(0) | Le Japon selon l'agriculture | 更新情報をチェックする
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。