今年のノーベル文学賞に、ボブ・ディランさんが選ばれました。
ミュージシャンの文学賞受賞。
この一見不可思議な現象には、音楽というものについての認識の「ねじれ」が、背景にあるのではないかと思います。
まず、選考する側について。
実は、音楽を学問として研究する音楽学は、多くは文学部で学ぶものです。
私自身も文学部美学科音楽学専攻でしたし。
また、音楽と文学、さらには美術の相互関係も文学部での研究対象となります。
例えば、シューベルトの魔王はなぜゲーテに酷評されたのか、それは、ゲーテが企図した、ドイツ詩の持つ一定のリズムをシューベルトが無視したからだ、のような感じです。
他にもベックリンとラフマニノフとかダンテとリストとか聖書とアルカンとか、いわゆる「印象派」とか...
このように、アカデミックの側は、音楽を広い意味での文学に含めることにあまり抵抗を感じないのだと思われます。
一方、ミュージシャンは、基本、学ぶにしても芸術大学・音楽大学という別の大学で養成されます。
この方達は、例え歌詞があるにせよ、音楽が文学の一部だという意識は、ないとおもわれます。
むしろ、音楽であれ美術であれ、文学とは独立した、独自の芸術であると考えていることでしょう。
私は、この、アカデミックな方々とミュージシャンの方々との意識のズレが、賞の選考と、受賞者本人の態度に現れていると考えます。
極端な例えをすると、青色LEDの発明でノーベル物理学賞を受賞した中村教授が、その経済的成功を理由にノーベル経済学賞を受賞するような違和感を、ボブ・ディランさんは感じているのではないでしょうか。
俺はロックンローラーだ、作家ではないぞ、と。
