2026年01月17日

阪神淡路大震災

1995年1月17日
大阪府豊中市の一角にある安い文化住宅。その日、私は朝からガソリンスタンドでアルバイトの予定が入っていた。
目覚まし時計は6時に合わせていたが、その30分前には目が覚めて布団の中でぬくぬくしていた。いつもと変わらない早朝。外はまだ暗い。

5時47分頃。ドーン、という音に驚いた。それと同時におそってくる強烈な揺れ。地震に違いない。慌てて布団をかぶり直すが、すぐに洋服ダンスが倒れ、上に置いてあったサボテンが降ってきた。
揺れた時間はたいしたことなかったのだろうが、体感では物凄く長く感じた。洋服ダンスだけでなく、台所の食器棚も倒れ、その扉のガラスが割れる音が聞こえた。

永遠にも思える時間の後、やっと揺れは収まった。幸い、けがはない。
小学生の時に体験した日本海中部地震の経験から、この地震がいわゆる大地震に当たるだろうことは分かっていた。
そこで、すぐに実家に電話した。

時刻は朝の6時。電話に出た母は眠そうだった。
「こがいに早う、どうしたんよ。」
「こっちで大地震があった。たぶん大ニュースになるけん、先に電話した。無事じゃけん。」

このときの母は、あまり要領を得ない様子だったが、すぐに通信の輻輳によって電話はほぼ通じなくなったそうだ。
先に連絡をもらって助かったと、後に母に言われた。

バイト先はガソリンスタンド。燃料を大量に扱う業種だ。安否を確認するためにも、急いでバイト先に向かった。

途中の道では、土塀が崩れ、屋根瓦が散乱していた。タイヤがパンクしないよう、慎重に、しかし急いでバイト先に向かう。

バイト先で、まずは、地下タンクにあるガソリンなどの実容量と、レジにある理論上の在庫を付き合わせる。
地下タンクの漏れは、どうやら大丈夫らしい。

バイトが終わるとまずは大学に行ったが、臨時休校になっていた。そこで友人宅に遊びに行き、無事を確認した。
テレビに、横倒しになった阪神高速道路が映し出される。現実だとはとても思えなかった。

その後、芦屋市にいるホルンの先生と連絡がつかない、という話をサークルの先輩から聞いた私は、すぐに救援物資を持って、自転車で芦屋に向かった。

私の下宿や大学のある豊中市は、それでもまだ日常を保てており、コンビニにもまだ品物があった。しかし、兵庫県に入ると状況は悪化し、伊丹市からはコンビニの棚から食料が消えていた。西宮市から入った国道2号線では道路のあちこちに亀裂や段差があり、自転車か徒歩でなければ通行できない状況だった。

ふと周囲を見ると、黄土色に煙っていた。ほこりとカビと煙が混じったような、イヤな匂いが漂っていた。
そんな中、自転車の前に、一人のおばさんが呆然と歩き出してくる。あわてて急ブレーキで止まったが、その方は「あ、ごめん」と無表情に通り過ぎていった。きっと、色々なものを失ったのだろう。

結局、ホルンの先生はご無事だった。しかし、ご近所で何件もの家が潰れてしまったと聞いた。

災害は、一瞬にして色々なものを破潰し尽くしてしまう。それを体感した、あの日だった。

(写真:震災の時にタンスの上から降ってきたサボテン「セルゲイ(Серге́й)」。今も元気です。)


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(註釈)
1月17日は、阪神淡路大震災が発生した日です。
今回はAIに頼らずに書いてみました。
posted by くまのおっさん at 05:00| Comment(0) | TrackBack(0) | よもだ話 | 更新情報をチェックする
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