近年、日本の稲作をめぐって「大規模化と省力化によってコストを削減し、国際価格と競争すべきだ」とする議論が広がっている。しかし、この主張は一見合理的でありながら、日本の農業が置かれた現実から乖離した側面を強く持つ。本稿は、この「効率化」論に対するアンチテーゼとして、その前提の誤りと帰結の危うさを指摘するものである。
第一に、日本の国土条件は大規模化の前提と根本的に相容れない。山地が国土の約7割を占める日本において、水田は細分化され、小区画で分散している。水田は単なる「面積」ではなく、高度な水平性が要求される精密な生産基盤であり、わずかな高低差が収量や品質に直結する。このため、単純な区画統合は技術的・地形的制約に阻まれる。また、比較的条件の良い平地は既に都市や工業、あるいは他の農業用途に転用されており、「広げればよい」という発想自体が現実性を欠いている。大規模化は、実行可能な余地が限定的な理想論にとどまる。
第二に、「大規模化・省力化=価格競争力の獲得」という論理は、市場の基本原理を取り違えている。生産コストの低下は、必ずしも市場価格の低下を意味しない。価格は需要と供給によって決まる以上、農地の統合によって総作付面積が変わらない限り、供給量は本質的に増加しない。さらに、省力化技術の多くは労働投入の削減を目的とするものであり、収量の増加には直結しない。つまり、これらの施策は「効率」を改善し得ても、「価格」を決定づける供給構造には影響を及ぼさないのである。
むしろ見落とされているのは、担い手の変化がもたらす供給縮小のリスクである。従来の日本の稲作は、高齢農家による低コストあるいは半ば無償に近い労働に支えられてきた側面がある。この層が離農すれば、全体の生産量は確実に減少する。人口減少に伴い需要も減っているとはいえ、供給の減少がそれを上回れば、価格は下がるどころか上昇する。近年の米価の不安定化は、こうした構造変化に市場心理が重なった結果と見るべきであり、「効率化不足」の問題に還元するのは的外れである。
以上を踏まえれば、「大規模化によって国際競争に打ち勝つ」という構想は、日本の地理的制約と市場構造の双方を軽視した机上の空論であると言わざるを得ない。大規模化や省力化は、あくまで限定的な条件下で部分的に有効な手段に過ぎず、それを万能の解決策として掲げること自体が誤りである。
結論として、日本の稲作において問われるべきは、「いかに規模を拡大するか」ではない。むしろ、「拡大できない」という前提に立ち、その制約の中でいかに持続可能な生産と供給を維持するかである。大規模化という幻想に依拠する限り、現実の問題は見誤られ続けるだろう。

