米の生産者価格(概算金等)が昨年の高値から一転し、ほぼ半額の水準まで下落する兆しを見せている。店頭に並ぶ5kgあたりの価格が2,000円前後にまで下がれば、お米好きな消費者にとっては待ちに待った恵みの風に見えるだろう。物価高の中で無理をしてパスタやそうめんを選んでいた家庭にとっても、手放しで歓迎したくなる変化かもしれない。
しかし、一時の安値に喜ぶ前に、価格が形成される構造とその先にあるリスクを冷静に見極める必要がある。
一昨年の米不足による急騰や、昨年の流通業者間での高値での集荷合戦とそれに伴う価格高止まりは、すべて「需要と供給の均衡の乱れ」によって引き起こされた。そして今回の下落もまた、高値を期待した市場の供給過剰に対する市場原理の働きに過ぎない。
ここで考えなければならないのは、生産者の現実である。現在の諸資材や燃料代の高騰下において、下落した価格で持続的に米を作り続けられるのは、大規模化と徹底した効率化を果たしたごく一部の農家に限られる。採算が取れなくなった多くの生産者が稲作から手を引けば、今度は供給が急激に絞られ、再び米価は跳ね上がる。そして高値を見て参入・増産が起きれば、再び暴落する──。
農作物は作付から収穫まで時間がかかるため、需要と供給のズレから「価格の急上昇と急降下」を交互に繰り返すリスクを孕んでいる。このようなジェットコースターのような市場の乱高下は、生産者のみならず、消費者にとっても生活設計を脅かす不安定要因でしかない。
やがて落ち着くであろう需要と供給の平衡点は、おそらく消費者が理想とする安値よりは高めの水準になるはずだ。平地が少なく中小規模の圃場が多い日本の地理的条件において、あまりに安い価格では国内の需要を満たすだけの量を生産しきれないからだ。
もちろん、高価になった米を避け、現時点で1kgあたり250円程度で手に入る輸入パスタのような代替食を選ぶのは個人の自由である。だが、より長い時間軸で未来を想像してみてほしい。
日本は今後、本格的な人口減少と超高齢化社会を迎え、国力の低下に伴い慢性的な円安基調が続くと予測されている。一方で、世界的な人口増加と物価高により、海外の食料価格は上昇の一途をたどっている。これまで当たり前のように安く買えていた輸入食品が、将来も同じ価格で手に入る保証はどこにもない。
目先の「安さ」だけを追い求めて国内の生産基盤を衰退させたとき、将来、世界の中での円の価値が下がりきった日本に対して、誰が望むような安値で食料を供給してくれるだろうか。
米の価格に向き合うことは、私たちがどのような将来の食生活と安全保障を選択するのかという、消費者一人ひとりの意思表示そのものなのである。

