Time flies like an arrow.
この英文、「時間は矢のように飛ぶ(光陰矢のごとし)」と訳されることが通常です。
昔、この文をコンピュータによる自動翻訳にかけた事例がZ会の旬報で紹介されていました。
大意は以下のとおりです。
この文を自動翻訳すると、以下の4種類の訳文が出力される。
1 時は矢のように飛ぶ(光陰矢のごとし)
2 時蝿は矢を好む
3 矢のような蝿の時間を計れ
4 矢のように蝿の時間を計れ
そして、文法には成り立ちうるこれら4つの候補の中から、人間は1の意味を選択する。
これはコンピュータにはできない芸当である。
しかし、これは本当に正しいことなのでしょうか?
例えば、以下の英文ではどうでしょう?
These magical flies, agents of Beelzebub, like weapons.
Field flies like a sword.
Time flies like an arrow.
この文で、太線部を「光陰矢のごとし」と訳す方はあまりいないと思います。
具体的には「agents of Beelzebub」から「蝿」が想像できることから、「fly」の意味は「蝿」となり、直前の「Fileld flies」は、「magical flies(魔法の蝿)」の一種「場蠅」と解されることに引きずられて、「Time flies」も「時蝿」の意味に変わります。
つまり、上の例で言えば「時蝿は矢を好む」と解釈するのが正しくなります。
結局、文の意味は、単体では決定することができず、前後の脈絡の中から、我々は正しい文意を解釈しているのです。
日本語は、英語よりもcontexst-dependencyの少ない言語です。
しかし、同様の事態は起こりえます。
これは、有名な「カネオクレタノム」という電報のお話(電報の送り主は資金不足で「送金の依頼」をしたつもりが、受け手は「誰かから資金調達したので祝杯を挙げている知らせ」だと解釈した)の例を挙げれば十分でしょう。
何を言いたいのかというと、前後の脈絡や論理的なつながりのない短文の意味を理解することは、コンピュータにはもちろん、本当は人間にもできないという事です。我々は、多義に解釈しうる文を、「常識」というフィルターを通して理解し、その中の一つの解釈を採用しているに過ぎないのです。